「わが子がギフティッドかもしれないと思ったら: 問題解決と飛躍のための実践的ガイド」にも書かれているギフテッドの共通特性。
こちらのサイトでも以前取り上げ、「ギフテッド児に見られる特徴」に関する記事は一番閲覧数の多い記事となっています。当時は息子も小学生だったこともあり、幼少期や小学生の頃の特徴をメインに我が家の例を挙げて取り上げました。
また、幼少期・小学生くらいまでのギフテッドについては、最近記事も多く出ておりイメージがしやすいのではないでしょうか。
ギフテッドという言葉自体が最近広まったというのもありますが、あまりインターネット上でも中学生について書かれている記事は少ないように思います。
十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人
「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」この言葉を耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。幼いときは並外れた才能の持ち主だと思われていた子供も、成長するにしたがって、凡人になることが多いという例えです。
週刊ダイアモンドの記事にとても興味深いことが書いてありました。記事をまとめると、
「天才」には「生まれつきの天才(ギフテッド)」と「後天的な天才」の2通りがある。「後天的な天才」とは、生まれつき平均以上の知能(IQ115~130前後)の持ち主が、適切な早期教育を受けることで、さらにその特性を伸ばし、高い能力を身につけたケースのことを指しています。
「後天的な天才」は、乳幼児期に子どもの特性(気質や興味)に合った教育を与えることで、子どもの能力を高いレベルに引き上げることができる。しかし、「後天的な天才」は、適切な教育を継続していかないと能力が伸び止まることがある。
幼児期に天才的な能力を示していた子どもが小学校に上がり、学年が上がるにつれどんどん普通の能力の持ち主になっていくのは、幼児教育で高い能力を身につけたから「後は放っておいても大丈夫だろう」という親の油断によって起こる。
これが、「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」この例えの所以としています。つまり、「後天的な天才」を伸ばすには周囲の継続的なサポートが必要であるということです。
15歳というと中学3年生から高校1年生。親からもそろそろ自立してくる時期です。なかなか親が主導に学ばせていくことは難しい年齢です。まさに本人次第というところになってきます。
では、先天的と言われる「ギフテッド」はどうでしょう。
以前通っていた病院の先生に
知識だけ詰め込んだり、勉強だけしているようではだんだん下がる。人といろいろ関わってさまざまな経験をした子のほうがIQは維持できる。
小学生の時にIQが130以上あっても、ずっと引きこもっていたり、学ぶことをやめると高校生くらいで測ると100くらいになりますよ
と言われたことがあります。
そもそもギフテッドという定義が曖昧であり、「ギフテッド=神童」というわけではありませんが、やはり「ギフテッド」の場合も、IQに関しては学びをやめてしまうと下がるとされています。
一方、「ギフテッドの特徴」は大人になってからも続くということは明らかになっています。
我が家は、WISC(知能検査)はもう受ける予定はないので、中学生になった息子のIQを知ることはできませんが、今回は小学生の時にギフテッド2Eと認定された子が、中学生になったら「ギフテッドの特徴」はどうなるのかについてです。23項目あるギフテッドの共通特性のうち、いくつか抜粋してご紹介します。
尚、当サイトでは「ギフテッド=天才」という意味では使用していません。
先日もTBS「初耳ギフテッド」という番組で「世界最高峰バークリー音楽大学に最年少12歳で合格!天才ピアニスト」と少女が紹介されていたり、「9歳の天才数学者・豊川愛惺さん …今年、孫正義育英財団にも選出!1歳で九九を覚え始め、5歳で数学検定3級合格、小学3年生で高校3年生レベルの数学検定準1級を合格」と紹介されていました。
こういった優等生タイプのギフテッドももちろん一部いらっしゃると思いますが、我が家はそのタイプではなく当サイトでは「ギフテッド=天才、神童」という意味では使用していません。
ギフテッドといっても個々の特性は様々です。あくまでもこれからお伝えする例は、息子の場合であり、ギフテッドといえども当てはまらないこともあります。ご理解の上お付き合いください。
学習の呑み込みが早く、考えを素早く関連付けられまとめられる
現在、中高一貫校に通っています。進度も公立の中学校よりは早く、難易度も公立では取り扱わない内容まで学習します。
先取り学習は小学生の頃からしたことはありませんが、学習の呑み込みが早いのは変わらず、今のところ勉強でつまづいたことはありません。友人からは「全然勉強してないのになんでそんな成績がいいのかわからない」と不思議がられているそう。
このタイプは、環境が合えば自走し始めます。学校生活もなんの問題もなく過ごしており、小学生時代が嘘のようです。
多量の情報保持、優れた記憶力
幼少期は図鑑を隅から隅まで眺め、内容を全て暗記したり、本の内容も覚えていたりと、本から得る情報が多かったのですが、中学生になると一切本は読まなくなりました。年間に読む本は、せいぜい学校の指定された図書くらいで5冊程度。
その代わり、情報源は全てインターネットになりました。暇があれば携帯電話を触っているのですが、その内容は、ニュース、スポーツ、政治、サイエンス、医学、国際社会情勢、美容など多岐に渡り、そんなことも知っているの?ということも。
今の時代、なんでも携帯で情報は得られます。何を見ているかまでは把握していませんが、会話の節々において情報量の多さは感じます。
自分の知識不足を感じた分野はすぐにインターネットを使って調べ、知識を蓄えているようです。自分の知識の弱い部分はすぐさまインターネットで知識を補うとのこと。
「縮毛矯正」について話題が上がると真っ直ぐになる仕組み(髪の毛のタンパク質がどうとか…)を詳しく説明したり、がんに罹患した場合の生存率などもがんの種別やステージごとに知っていたりと知的好奇心は幼少期から変わらないように思います。
短期記憶に関しては、定期テスト前に猛烈に知識を詰め込み、テストに臨みます。
暗記系の教科は一夜漬けが通用するところを見ると、以前より短期記憶も良くなったように思います。
年齢に対し並外れた豊富な語彙と複雑な文章構造をもつ
9歳3ヶ月のときの知能テスト(WISC-Ⅳ)では、言語理解の部分が突出しており、IQ155以上、パーセンタイルでいうと99.9%以上との判定でした。これは9歳の時点で16歳以上の言語理解力があるとも言えます。
しかしこの言語理解に関しては、年齢を重ねるにつれて、ギャップは埋まってくると思うので、現在は年相応の語彙力になっていることが予想されます。
相変わらず文章を書くことは苦ではないようで、読書感想文などは書き始めると1日で書き上げてしまいます。
小学生から現在まで読んでいた本はこちらにまとめています☟
数字やパズルを好んで解く
小学生の頃から算数は得意でしたが、中学校に入ってからも数学と理科が得意なようです。得意ですが、好きなわけではなく、学校の勉強以外の時に自ら好んで問題を解いたり、難解なパズルを解いたりするようなことはしません。
並外れた感情の深さ、激しい感情を持ったり反応をする
ギフテッド児のあらゆる根本に流れているのが突出した激しさと言われています。
この突出した激しさや感情の深さは変わりません。負けたら悔しい、勝ったら人一倍嬉しい、ということは幼少期から変わりません。体育祭などの勝ち負けがある行事や、部活動の大会などはとにかく勝ちたいようです。勝ちにこだわるのでついつい熱くなってしまうのですが、周りとの熱量の差に本人が悩んでいることもありました。
親に対しては、以前はカッとすると衝動的に物に当たったり手が出たりしまうことが悩みでしたが、今はそのようなことはなくなりました。その代わり、口撃は相変わらず激しく、凄まじいものがあります。
ただし、捲し立てるように口撃するのは親に対してだけで、祖父母や私の兄弟などの家族や友人、先生などにはそのような口の利き方をすることはないので、親への甘えも大いにあると思います。
ギフテッドの特性の部分である激しさの部分は変わらないまま、表現の仕方が若干変わったという感じです。
幼少期から理想主義や正義感がみられる
正義感に関しては、一番変化があったかもしれません。
以前は、「ちょっとくらい破ってもいいだろう」と自分の基準で時間を守らなかったり、ルールを守らなかったりすることもありましたが、今はとても正義感が強くなりました。
時間を守る、提出期限を守る、課題を出すといった以前は自分でまるで管理できなかったこともできるようになりました。
また、歩きタバコなど法律レベルの規則を破っている大人に対して怒りを感じたり、定期テストでカンニングなど不正をはたらいて得をしようとする人が許せなかったり、間違ったことが大嫌いです。
長時間の注意持続、粘り強さ、高い集中力
高い集中力は幼少期から見られる特徴でしたが、中学生になってから勉強面でも高い集中力が見られるようになりました。
小学生時代は、勉強よりも友達との遊びが優先だったため、勉強は二の次。中学受験勉強は短期集中型で乗り切りました。中学生になってからも勉強に関しては短期集中型は変わりませんが、定期テスト前だけは、見たことのない集中力でテスト勉強をするようになりました。
粘り強さに関しては「わが子がギフティッドかもしれないと思ったら: 問題解決と飛躍のための実践的ガイド」にもありますが、幼少期から成人ギフテッドまで長期に見られる特性のようです。
あるゲームを丸1年半毎日欠かさず続けているのはある意味粘り強さを感じます…。側から見ていても、飽きないのかなと思うほど熱中しています。
また、幼少期から続けていることの一つとして、音楽があります。辞める機会は何度も訪れましたが、今は尊敬できる先生に恵まれ、自分の意思で細々とではありますが継続しています。
とても多忙を極める中学校生活。レッスン日を捻出するのもとても大変なのですが、なぜ辞めないのかと聞いたところ、
小さい頃から続けている唯一のことだから、辞めるとかない。僕にとって必要だから。
とのことでした。相変わらず家では練習はせず、レッスン時に練習を兼ねて先生のところで1時間弾いて帰ってくる、というようなスタイルです。
自分や他者のできない状態や遅い状態にいたたまれなくなる
この点は、中学生になってから自分に対して厳しくなった気がします。
以前は完璧主義とは程遠かったのですが、自分ならもっとできたはずだ、もっと上手く行ったはずだと、上昇志向が強くなりました。
思うような結果が出なかった時に、以前は悔しさのみだったものが、「あの時こうすればよかった、次はこうしたい」と後悔の念だけではなく先の目標を持つようになりました。
練習不足で大会や発表会に臨み、思うような結果が出なかった時、込み上げる憤りや強い感情は、クールダウンするまでに時間を要するということも自身でわかっています。そのような時は、「気持ちを落ち着かせてから帰ります」と連絡が来ることもあります。
周りに対しては、以前は他人にも自分同等かそれ以上の能力を求める傾向がありましたが、歳を重ねるにつれてある程度許容範囲が広くなったように思います。
基本スキルをあまり練習せず素早く取得する
新しいことも臆することなく挑戦していた幼少期に比べると、新しく何かに挑戦する機会は減ってきました。あまり新しくスキルを習得する場面を見ていないので分かりかねるのですが、携帯ゲームなどはすぐにランク上位まで上り詰めているようです。
スポーツに関しても、ずば抜けて運動神経が良いというわけではないですが、中学に入って本格的に始めたスポーツでは経験者に交じって大会に出たりとコツを掴むのが早いのも変わりません。
興味関心の幅が広い(ただし一つの分野への強い関心をみせることもある)発達した好奇心
幼児期はその時期によって一つの分野を掘り下げてから次へと変わっていくことが多かったのですが(車→はたらく車→昆虫→機械の仕組み→ギア など)、今は広くいろいろな分野に興味関心があるようです。
将来の展望も定期的に変化しているので、中高校生時代にいろいろなことに興味関心を持ち自ら道を切り拓いて行って欲しいと思います。
まとめ
いかがだったでしょうか。根本的な部分は変わらないですが、変化した部分もあります。
そして一番変化したのは、親子の距離感だと思います。幼少期の頃と比べると、圧倒的に親と関わる時間は減りました。会話も普段は最低限。親が何かを促すことも減りました。
以前は親が先回りをして興味のあることを調べてあげたり、興味のありそうな習い事やイベントなども調べて積極的に参加するようにしていましたがそういったサポートはほぼしなくなりました。その代わり、何かサポートをして欲しいときはあちらから声がかかるようになりました。
例えば、
「部活でもっと上達したいから短期で習いたい」
「発表会前はピアノのレッスンを月2回ではなく、3回入れて欲しい」
このような要望があったら私が調整するというようなサポートの仕方になりました。
正直、自室の扉を閉じた向こう側では何を考え、何をしているのかはわからなくなりました。しかし成長過程においては普通のことだと思っているので、今後も煙たがられながらも遠目で見守っていくつもりです。
そして親の役割としては変わらず「適宜、選択肢を与え、視野を広く持つこと」を心がけています。
「2E」の部分に関しても変化がありました。小学生時代は得意な事と苦手な事の差が大きく、本人自身が色々な葛藤を抱えており困り事も多くありました。中学生2Eギフテッド児の抱える困難についても次回記せたらと思っています。