今回は小学5年生10歳のときのピアノの記録です。小学5年生の頃は前半が海外、後半は日本で過ごしました。
春休み前にピアノのコンクールが終わり、燃え尽き症候群になり、相変わらず練習はしませんでした。
それでも、今後どうしていきたいか音楽の方向性が見えてきた一年でした。
次の目標は?
高学年になり、ピアノとの向き合い方も低学年の頃とはだいぶ変わってきました。
1日にピアノに向かう時間は、0分~15分といったところでしょうか。
遊び弾きすらせずピアノに触らない日も出てきました。ピアノを習っている人からしたら、少なっ!と思われると思います。
どうやらピアノに関しては弾くことは好きなのですが、弾けるようになるまでの過程(譜読みや指番号を覚えるまで)が嫌いなようで、なかなか新しい曲に向かおうとしません。
しかし、その先に目標があれば頑張ることができるので、先に目標を据えて、それに向かって練習をしていくというスタイルになってきました。
その先にあるものは例えば、コンクール、ピアノ教室の発表会、校内演奏会、学校の合奏の伴奏オーディション、ヤマハグレードテストなどなんでもいいのです。
ただ目的がなく淡々と練習をするというのがとにかく苦痛のようです。
春休み以降、ゲーム中毒になってしまったのもあり、ゲームに触れる時間を減らすために他に何か興味のありそうなものはないかと探しました。好奇心が旺盛な分、退屈な時間が一番苦手です。
母親としてこの知的好奇心を潰さないことというのを一番意識して子育てをしてきました。海外生活の場合、自分で探さないと入ってくる情報も少ないため、この点は一生懸命探しました。
そして次の目標は、サマースクールになりました。
ピアノ合宿 初めての音楽漬けの1週間
夏休みは以前記事にした、1週間のサマースクールに参加しました。
サマースクールでは、各楽器の専門の先生を選んで、一週間受講する合宿でした。参加者に日本人はおらず、楽器もピアノだけではなく弦楽器や管楽器の人も多く参加する合宿でした。
年齢の幅も10歳から20歳までの幅があり、コロナ禍だったので保護者が立ち入ることは禁じられており、はっきりした人数は把握していませんが、50人くらいいたような気がします。
ピアノは、ある程度仕上げたものを2曲持っていき、その合宿中に表現力などを学ぶというレッスンでした。
カプースチン「ソナチネOp.100」を選曲 難易度は?
息子が選んだ1曲はニコライ・カプースチンの「ソナチネOp.100」です。
最近は辻井伸行さんなどもコンサートで弾いている、現代ロシア音楽を代表する作曲家です。
カプースチンはクラシックの中にJAZZ的要素を取り入れた即興的な音楽が特徴です。カプースチンと言えば、「8つの演奏会用練習曲」が有名ですが、難易度は上級とされています。
カプースチンの曲の中でも比較的弾きやすいとされている「ソナチネOp.100」にとりかかりました。
2000年、カプースチンは音楽学校に通う若年層のためにという依頼を受け、小規模で軽妙な単一楽章の「易しい」ソナチネを完成させた。このような経緯ゆえ、この作品には、カプースチンのピアノ作品にしばしば見られる壮麗さや超絶技巧はみられない。しかしその中には、彼が積み上げてきた自己独自の世界と、脈々と受け継がれてきた西洋伝統音楽の構成美がしっかりと共存している。
楽曲の旋律、和声、リズムといった響きの面に、カプースチンの象徴とも言えるジャズやポピュラー音楽の要素が盛り込まれていることは一聴して明らかである。
引用元 ピティナ曲事典より
2000年に作曲された曲というのもあり、当時習っていた先生もカプースチンの曲は弾いたことがないとのことで、指導する側も大変そうでした。
ちょっと先生に見本を弾いてもらうということもできず、譜面とにらめっこ状態でした。
ポップスだけはなく、クラシックも耳コピで音を取ろうとする息子は、この曲は何回聴いてもリズムが独特なので耳コピができない!とイライラしつつ譜読みをしていました。
10歳の時の演奏はこちら↓
レベルとしては10歳でもソナチネアルバム程度が終わっていれば弾けると思いますが、恐らく息子が今まで取り組んだ曲の中では一番難しい曲だったと思います。
当時は現地の先生にJAZZを週1日習っていましたが、JAZZは即興であるのに対し、カプースチンはJAZZの要素を取り入れながらも「クラシック」に分類されます。そのため、楽譜に忠実に仕上げていかなければなりません。
そんなカプースチンのソナチネですが、この合宿で指導していただいた先生は、現代音楽を得意とする先生でした。
カプースチンの曲もサラッと弾いてお手本を見せてくれたり、左手で右手の旋律をパッと弾いて教えてくれたり、とにかくこの一週間は息子にとってとても刺激的な一週間だったようです。
ショパンのワルツとバッハのインベンション
ソナチネアルバムも何曲もやったわけではないですが、いわゆるピアノの基本のステップをこの頃から無視するようになりました。
「やらなければならない」曲よりも「弾いてみたい」曲を選ぶようになりました。先生には、バッハのインベンションは全曲必須と言われ、簡単なものから数曲弾きましたが、5、6曲弾いたところでやりたくないと言い始めます。
その代わり、当時の先生にはまだショパンは早いと言われましたが、本人はそれを押し切る形でショパンのワルツを弾くようになります。
帰国後のピアノの先生探し
転勤族の大変なことの一つは、新しい土地で、新しい習い事探しです。家の場所が決まったら、次は子供たちの生活環境を整えなければなりません。子どもたちの環境が整い、学校や習い事が落ち着くまでが引っ越しだと思っています。
今回も兄と妹それぞれ3人の先生の体験を受け、それぞれ合う先生を決め、それぞれ違う先生の元、レッスンを再開しました。性格もタイプもまるで違う兄妹ですが、習いたい先生も違うため違う教室にそれぞれ通うことになりました。
4年生の冬に「もうクラシックピアノはやめる!」と宣言し、暫くレッスンからも離れていた去年に比べると、5年生の後半は月2回のペースで通い始めたので、4年生よりは進みました。
ただ、一年間の進度としては、練習時間は大幅に減り、本人もピアノよりもゲームや友達と遊ぶことに夢中になったのもあり、非常にゆっくりペースの一年でした。
・バッハ インベンション 4曲くらい
・ツェルニー 30番練習曲 3曲くらい
・ソナチネアルバム 0曲
その他、ショパンのワルツ、カプースチンのソナチネ
上記の他に、息子の部屋に置いてあるカシオの電子ピアノPriviaに入っている、ドビュッシーの『ベルガマスク組曲』第4曲「パスピエ」を耳コピで弾き始めたので、この曲も10歳のうちに仕上げました。
クラシックピアノも作曲も
あれもこれもやりたい息子。ようやく先生が決まったかと思うと、なんか物足りない様子でした。よくよく話を聞いてみると、ずっと我慢していたヤマハへの思いがあるようで、「クラシックだけをやりたいわけではない。即興や作曲やアレンジなど色んな音楽を学びたい」とのこと。
行きついた結論は、「クラシックピアノも作曲も両方」でした。そこでヤマハの楽器店の先生にも師事し、作曲やアレンジを学ぶようになりました。
クラシックピアノは、上には上がいること、練習を着実に積んできた人には適わないこと、性格的に「楽譜通り、正確に」弾くことが向いていないことなどもよく自分でわかっているようで、クラシックは昔ほどの熱量はなくなっていました。
そしてせっかくみつけた先生でしたが3か月習ったところで、遊びと習い事の比重が大きくなり、生活の基本的な事ができなくなってしまったため、作曲以外の全ての習い事をリセットすることになります…。