ようやく本帰国が決まり、その当時のことです。結論から言うと、5年生後半から卒業までとても理解のある先生に出会え、なんとか最後まで小学校生活を送ることができました。帰国前は、どんな環境が合うのか、どんな環境に身を置きたいか、本人と話し合いました。
選択肢としては、公立の小学校、インターナショナルスクール、フリースクール、など選択肢としてはさほど多くありませんでした。インターナショナルスクールに関しては彼なりの考えがあるようで「日本の日本人ばかりのインターナショナルスクールに通うつもりはない。」とのこと。
発達クリニックだけは先に紹介してもらっていたので、通院が可能な物件を探し、家の近所の公立の小学校に転入することにしました。
息子の場合、元々、学校も人付き合いも好きなので、基本的には学校に行きたがらないということはありません。ただ、自分を理解してくれる人がいなかったり、居場所がないと感じると、外に向けて反抗するタイプだったので、先生か友達どちらでもいいので、一人でも理解者がいるといいなという思いでした。とりあえず通ってみて合わなければ考えよう、というスタンスでした。
転入前に伝えたこと
転入先の学校が決まってまず最初にしたことは、担任の先生が決まる前に「特性があることを学校に伝える」ことです。息子のような特性のあるタイプの子にとって、先生との相性は学校生活のすべてを決めると言ってもいいくらい重要です。あらかじめ特性があることを伝えることで、多少の配慮をしてもらえることがあります。
やりたいこと
振り返るとこの頃は、何事にも全力という感じでした。海外で不自由に感じていたこと、やりたかったことがやっとできる!と爆発した感じです。
習い事だけでもやりたいことが山ほどありこの頃は習い事だけでも6、7個くらいしていました。
そして、息子が何よりしたかったことは、自由に友達と遊びたいということでした。なかなか気の合う友達ができず、どこに行くのも親同伴だった海外生活にとにかく嫌気がさしていたので、帰国後は羽が生えたように、得意の洞察力とコミュニケーション能力でたちまち自分の世界を広げていきました。
息子は、人を見抜く洞察力には長けており、同世代の友達に関しては、性格や特徴を見抜いたうえでつきあっているようです。相手が大人になると一枚上手なので、まだまだ完全に見抜くことはできてはいませんが、同世代のコミュニティであれば、誰が影響力があるか、誰が面白そうか様子を見てすっと入り込み、仲良くなっていきます。
卒業時には、クラスの枠も超えあたかも1年生の頃からいたのではないかと思うほど馴染んでいました。このコミュニケーション能力の高さはもしかしたら特性の一つかもしれません。
低学年から大きく変わったこと
息子が「学校を辞めたい」と言ったのは小学3年生のことでした。周りとのギャップを感じておりなかなか気の合う友達が出来なかったり、自分のことを理解してもらえないのが理由でした。
久々のいわゆる「日本式の小学校」だったので、どうなるかな?と親としては心配でした。時期も、5年生の2学期という微妙な時期でしたが、息子は驚くほどにすーっと溶け込んでいきました。
もちろん学校や地域柄などもあるかもしれませんが、高学年になって学校に通ってみて感じたことは、周りの友達も、心も体も成長しているということでした。
高学年になると、男女ともに思春期に入ろうとしている時期で、低学年に比べると自立心が芽生えたり、自我意識も芽生えてきます。同時に思考力や判断力なども身に付くようになり、他者への理解や思いやりなども自然と持てるようになってきます。
周りが成長していることにも加え、自分と違う他者も受け入れよう、認めようと担任の先生も度々指導をしておられたようで、そのおかげもあり、息子は微妙な時期にも関わらず馴染むことができました。
6年間を終えて今思うことは、低学年~中学年までが一番本人にとっても我慢の時期だったかもしれません。
高学年になれば、本人もある程度割り切って周りと付き合うことも覚えていきますし、周りも受け入れようともしてくれるので、以前ほど「僕のことを誰もわかってくれない」と思うことはなくなったようです。
中学受験はどうする?
帰国後お世話になっていた発達クリニックでは、帰国前の状況が状況だったので、2週間に一度通院を勧められました。そんな中で、またもや中学受験を勧められるのです。
いやいや、勉強の前に生活が全くなっておらずそれ以前の問題なんですよ、と私は切り返すも、
「この手の子は中学受験するしか今の日本には受け皿はない」とばっさり言われてしまいました。
この中学受験が結局のちの一年をかき回すことになります…。
言われるがままにとりあえず塾もいくつか体験に行ってみました。「首都圏はクラスの半分以上が受験する」なんて聞いたこともありましたが、住んでいた地域は受験する子はクラスに数人。噂で聞いていたような受験一色という感じではありませんでした。
本人に確認すると「中学受験はする」との一点張りでしたので、ひとまず近所の個別指導塾に通うことにしました。しかし、公園で遊んだ帰りに直接塾に行くため、大体宿題はせず遅刻をしていく、という日々が続きました…。挙句、自習室で昼寝をする始末。その結果、「高校受験に切り替えたらどうでしょう?」と言われ、3か月で退塾することになりました…。
ピアノはどうする?
ピアノに関しても今後どうするか聞いたところ続けるとのこと。またゼロから先生探しです。ピアノの先生探しは毎回とても大変で、何が大変かというと本人が「この先生から習いたい」と尊敬できる先生ではないとうまくいかないからです。
先生のやり方がこだわりのある先生だと大体うまくいきません。今回も家の近所のピアノ教室を3件ほど体験をし習っていましたが、結局「この先生から習いたい」の部分が息子にとっていまいち満たされず3か月で一旦辞めることにしました‥。
遊びへの貪欲さとその他の習い事
とにかくこの頃は帰宅したら玄関にランドセルを投げ捨てすぐ公園に行くのが日課でした。コロナ禍ということもあり人の家で遊ぶことはなく、どんな寒い日も公園に通っていました。雨の日は軒下で雨を凌ぎながら遊んでいたようです。
まだ10歳。確かに中学受験をするのであれば、勉強はしなければならないのですが、親としては今しかできない遊びも大事だと思っていたので「遊ぶな!」とは言わずとりあえず学校の宿題や提出物さえしていればよしということにし、遊びに関しては見守ることにしました。
習い事はピアノの他に、プールや英語などその他やりたいと言ったものは一通り気が済むまでやらせました。
その結果、さすがに体力的にも持たなくなり、お風呂に入らず寝る、宿題に手を付けるのが23時以降…などなど頭の中が取っ散らってしまうという結果になりました。
結果3か月色々やってみたところ、体が一つでは足りなくなり、何が一番大事かを見失ったため、整理をするために一旦休会できるものは休会し、休会ができないものに関しては一旦やめることにしました。
まとめ
思ったよりスムーズに学校生活に馴染むことができた点はよかったのですが、目の前の楽しいことばかりになり、やらなければならないことを疎かにするようになりました。口では「する」と言っていても行動が伴わず口論になることも多々ありました。
中学受験もするかしないかもまだ曖昧でしたが、とにかく基本の生活のことで朝から晩まで声をかけないと事が進まず、言ったら言ったで反抗的になり…とそのサイクルがしんどかったです。