小学生2年生、7歳頃のギフテッドってどんな感じ?ギフテッドのどんな兆候があるの?
映画「gifted /ギフテッド」に出てくる天才少女も7歳。7歳というと小学校にあがり、ギフテッドの場合は周りとの違いに気づき始めるころかもしれません。
早生まれの息子は2年生でしたが、まさに周りとなんか合わない、学校の勉強が簡単すぎるといったことに気づき始めたのがこの頃でした。そして今までの息子とは別人のように怒りを爆発させるように。
そんな2年生の頃の記録です。
初めての海外生活
二年生の4月に主人の転勤で海外赴任について行くことになりました。主人は先に赴任していたのですが、ついていくかどうかを子供を交えて何度も話し合いました。当時は今のように新型コロナウィルスのような感染症はありませんでしたが、初めての海外生活だったので私自身もとても悩みました。
息子は、当時通っていたヤマハジュニア専門コースを辞めなければならず、ついていくのをとても躊躇っていました。ちなみに、1年生は特にこれといって大きな問題もなかったので、この時点ではまだ発達特性やギフテッドについては何も知りませんでした。
ところが、転校先で待っていたのは、先生からの厳しい洗礼!クラスでも風変わりな子が来たぞと、一目置かれ、なかなか馴染むことができませんでした。
急に性格が変わったかのように怒りっぽくなる
4月の始業式から新しい学校(日本人学校)に通い始めました。最初は緊張しながら通っていたのか、帰ってくるととても機嫌が悪く、疲れ切っていました。
下の娘は現地の幼稚園に通っていたので、言葉も通じない、周りはみんな外国人、先生にも意思疎通できないような環境だったので、最初は娘ばかり心配しており、息子のほうは日本語だしまぁ大丈夫だろうと軽く考えていました。
しかし5月頃には生活態度のことで頻繁に学校から電話がかかってくるようになりました。
・授業中、集中していません
・字が汚い、雑です
・シーソー(椅子でゆらゆら)がやめられません
・友達にこんなことを言って相手を傷つけました
・机の周りの整理整頓ができません
・女の子に失礼なことを言います
その日の出来事というよりは、先生の愚痴のような電話がまあまあな頻度でかかってくるようになりました。
日本で通っていた学校は、体調不良の時以外はかかってこなかったので、こんなことでもかかってくるのか、と正直驚きました。
私も学校から着信があると、キッと息子を睨み、「今日はなんかあった?」と確認してから電話に出るようになりました。
この頃は、私自身も何とかしなければ!と先生に言われるがままに、「また電話かかってきたよ!どうなってるの!ちゃんと言われたようにやりなさい!」とただただ毎日叱っていました。
時を同じくして、家では今までの息子とは別人かのように、全てのことに反抗的でキレるようになっていました。「〇〇しなさい」と声をかけると返ってくる言葉はだいたい「うるせー!」でした。そんな言葉どこで覚えてきたの!とまた私もイライラ…そんな毎日でした。
五月のある朝
歯磨きをしなさい
と声をかけたところ
歯磨きはしないことにした
と意味不明な返答をしてきました。「なんで?」とこちらが聞いても「しない」の一点張りです。
反抗したかったのか、なんなのか本意ははっきりわかりませんでしたが、一般的なルールや、慣習に従わないことも出てきました。
その度に口論になり一日のうち何度ぶつかりあっていたかわからないほどです。私も注意することが多くなり、息子も怒りっぽくなると同時に大きな声で叫んだり、奇声を発したり、暴れたりするようになってしまいました。
後に、ギフテッド児においては、環境調整が非常に大事であることは、医師にも言われたのですが、色々な本でも書かれています。
この頃、人が変わったかのようにとても激しい問題行動が増えてきたのですが、それは教師や仲間に認められなかったり、不適切な環境への反応であり、これはギフテッド児と環境が合わないことからくる正常な反応だったようです。
そうとは知らず、引っ越したから情緒不安定なんだろう、そのうち慣れるだろう、と私も主人もそう思っていました。
連絡帳を書いてこないので宿題がわからない
連絡帳を書く時間が、前の学校と新しい学校では異なっていたのが原因です。前の学校では帰りの会の際にみんなで一斉に書き、先生がチェックするので、書き忘れるということはありませんでした。
しかし、今度の学校は担任によってルールが違ったようで、息子の担任の先生は2時間目の大休憩(20分休憩)までに書かないと先生が消してしまう、というルールだったのです。
休み時間はなんとしても遊びたい息子にとって、連絡帳を書く作業はどうでもいいことだったので書いてこなかったのです。
とはいえ、宿題ができないのは困ります。
書いてこない日が続くと、私は「え?また書いてこなかったの?」とまた激怒です。今なら、書いてこない理由はわかりますが、当時は、これだけ言っても何で書けないんだろう?と不思議で仕方ありませんでした。
この連絡帳問題については、「昼休みまで消さずに残しておいてもらえませんか?」と先生に交渉しました。「みんな書いてますので、みんな出来てますので」というのが先生の言い分でしたが、息子は出来ないんです。とはっきり伝えました。
ちなみに小学五年生の今も一切連絡帳は書いてきません。どうやら暗記できるから書く必要がないそうです。「今日の時間割り、プラス社会マイナス理科」のように覚えてくるようです。
このように、例えみんながやっていても、自分にとって必要なかったり、やらなくていいものはやりません。その辺はもう、本人が困らなければいいかなと思い、暗記できるならいいね、くらいで本人に任せています。
筆箱の鉛筆、教科書がなくなる事件
2学期のある日、学校から帰ってくると息子の筆箱に鉛筆が1本も入っていないことがありました。
どうしたの?と聞いても、気づいたらなくなっていた。と本人が言うのです。そんなわけないでしょう、どこかになくしたんでしょう、と言いながら、新しい鉛筆を5本削って筆箱に入れました。
またある日、漢字ドリルの宿題をしようとしたら、漢字ドリルがない!というのです。「また学校に忘れてきたんじゃないの?」と聞くと、そうかもね、という返答。「じゃあ昨日と同じところをノートを見ながらやりなさい!」とまた激怒です。
また別の日、連絡帳を入れる連絡袋がありません。「どこに置いてきたの!」とまた激怒。
音読をしようとしたら国語の教科書がない!と騒ぐ日もありました。「隣の子に確認してみたの??」と聞いたら、隣の子も持っていなかったというのです。
さすがに身の回りのものが立て続けになくなっているので、疑いたくはありませんでしたが、誰かが隠しているのかなと思い、学校に電話をかけてみました。これらの物がなくなったのですが…と話すと
「あーそれなら全部私が預かっていますよ~」と担任の先生が言うのです。
思わず「え?なぜですか?!」と私もさすがに理解ができませんでした。
先生曰く、「休み時間は、前の授業の教科書は机の中にしまい、次の授業の準備をする時間なのでそれができていない人はなくなるかもね~と子供たちには言っています。」とのことでした。
「はぁ…そうですか…そんなことをしても息子にはなにも伝わっていませんし、何の効果もありません。教科書がなくなった理由も本人はピンときていません…。直接、なぜ先生に取られたか、なぜ授業が終わったら机の中にしまう必要があるのか、今後どうすればよいのかを、本人に説明して返してください」と伝えました。
立て続けに物がなくなるので、親としてとても心配したという旨を伝えたところ、それは失礼しました、と笑いながら謝られました。
「国語の教科書がなくて授業中は息子はどのように授業を受けていたのでしょうか?」と聞くと、
「隣の子に見せてもらっていましたよ」とのこと。
それを先生は見ていて、なんとも思わなかったのかと聞いたところ、
「一週間何も言ってこなければ返そうと思っていました。」との返答でした。
授業参観の朝、先生が体操服を没収 体操服がなくて号泣
授業参観の朝、体操服に着替えて体育館に集合、という指示があった日のことです。
ロッカーにあるはずの体操服がない!忘れたかも!と息子は焦って、職員室に行ったそうです。
「体操服を忘れました」と息子が言うと
「ほんとに忘れたのかなぁ~?」と先生。
もう時間だったので、急いで体育館に行ったようですが、その時にはもう保護者も何人か来ていて私服で入っていくのがとても恥ずかしかったようです。
その後いったん教室に戻ると机の上に体操服袋が置いてあったようで、急いで着替えて体育館に向かったようです。
私はその様子は見ていなかったので、下校後に息子から聞きました。
「今日朝学校に行ったら体操服がなかったんだよ。焦って職員室に事情を説明しに行ったら先生にまた取り上げられてたんだ。お母さんたちも来てるのに洋服で中に入るのが恥ずかしくて泣いちゃったんだよね」とのこと。
えーーー??はー??と私もさすがにこれは嫌がらせ行為ではないかと電話しました。
なぜ、体操服を取り上げたかを尋ねると
「ロッカーから体操服の紐が出ていたから」
とのこと…。紐…。正直紐が垂れていただけでここまでする必要があるのかと、もうこの時ばかりは、2年生の子がどんな気持ちだったか、必死で伝えました。
当時の先生は、ギフテッドという概念は恐らく知らなかったと思います。発達障害についてはご存じだったかもしれませんが、特性を理解しようとするのではなく、型にはめようとする先生でした。
私自身も当時は息子のことをギフテッド2Eとしては認識しておらず、「得意な事と不得意な事の凸凹がある普通とはちょっと違う子」くらいにしか思っていなかったので、親としてうまく学校に取り合うこともできませんでしたが、息子のことを守れるのは親しかいないと思ったのを覚えています。
個人面談でもダメ出し
12月の個人面談でも9割は生活態度のことを言われました。しかしその頃には色々先生のやり方が合っていなかったのもわかってきたのでこちらから
「みんなが当たり前にできることができないことがあります。それはこの子の個性なのでそれを直そうとするのではなく、ある程度大目に見ていただくことはできないでしょうか?」とお願いしました。
後々息子本人から聞いたのですが、机ごと廊下に出されて廊下で授業を受けていたこともあったようです。みんなの前で怒られて、大恥かいてすごく嫌だったとのこと。
通っていた学校には、発達に詳しい先生も、カウンセラーも配置しておらず、学校に支援を求めても、人員が足りないのでどうにもできませんとの回答でした。
息子は唯一成績だけは評価してもらえていたのが救いでしたが、「問題行動のある生徒」として一年間扱われました。
学校でのこういったことの積み重ねが本人の苛立ちやストレスになっていたにもかかわらず、家に帰ったら帰ったで口うるさいお母さんに「〇〇しなさい」と言われ…。息子はどんどん反抗的になっていきました。
かといって、反抗期にしては早すぎるし…と、頼る場所もなかったので、専らインターネットで検索をしていました。すると発達障害からの「二次障害」「反抗挑発症」といった単語も目にするようになりどんどん心配が募っていきました。
二年生を異国の地で一年間終え、正直私自身も打つ手がなくヘトヘトでした。春休みに日本へ一時帰国の予定だったので藁にも縋る思いで日本の発達のクリニックを予約しました。
一時帰国では、家族や旧友にも会え、いつもの公園でいつものメンバーで遊び、とても楽しそうでした。昔の息子に戻った気がしてほっとしたのを覚えています。
初めて「ギフテッド2E」という言葉に出会う
春休みに一時帰国の予定は決まっていたので、この面談が終わった時点で、日本に住む親に伝え、発達クリニックの予約を取ってもらいました。
初診の際は、母子別々に先生に呼ばれました。息子も先生と20分くらい面談をし、そのあと私も30分ほど面談し、誕生時のことから、今日までの成育歴を細かく聞かれました。
学校での困りごと、家での困りごとも全て話したところ、お母さん大変でしたね、とおっしゃってくれたのがとても救われた気がしました。
私なりに色々な本を読んだのですが、これは発達障害ではないでしょうか
と尋ねると、
会話も初対面ですが順序立てて話してくれましたし、色々な成育が早いので、こういう子はもしかしたらギフテッドかもしれません。
そしてこういうタイプの子は育児本通りにはいきませんよ。
と言われ、一冊の本を渡されました。
その当時はまだ今ほどインターネットを検索しても日本語でヒットする記事はなく、書籍も今でこそ色々な本が出版されていますが、当時はこの一冊くらいしか調べても出てきませんでした。
この本を読んで、息子にそっくりな事例が載っていたり、アメリカでは随分ギフテッド教育が進んでいることも知りました。
学校での対応については、暇を与えないように配慮してもらうとよいとのことでした。算数はプリントを多めに出してもらったり、応用問題を印刷してもらうことはできないか聞いてみるといいとのことでした。
本当は色々な検査をしないとはっきりはわからないとのことでしたが、滞在期間が短かったのでその時は検査の予約が取れませんでした。とりあえずその本を抱えてまた駐在先へ戻りました。
習い事のこと
最後に習い事に関してです。
引っ越しに伴い、大好きなヤマハジュニア専門コースを辞めることになり、現地についてまず最初に探したのはピアノの先生でした。
このころから、息子は人を見抜く才能は長けており、どんな先生が自分に合うかわかっているようでした。ピアノの先生選びにはこだわりがあり、本人がこの人から習いたい!と思えるかどうかが大事でした。
体験した先生のうちの一人に本人が決めてクラシックピアノを習うようになるのですが、早々にクラシックピアノ(課題曲を毎週出されて、それを練習していく)のレッスンだけではつまらないと言い始めました。
ギフテッド児は漢字の練習なもそうなのですが、単純な繰り返し練習といったことを嫌がります。
毎回新しい曲を弾くなど、新鮮さ、楽しさ、ワクワク感があったヤマハ好きの息子にとってクラシックの練習はあまり楽しくなかったようで、練習もせずにいつもAmazon musicのランキング1位から順番に耳コピでJPOPを弾いていました。
3か月くらいたった後、ヤマハでやっていたような即興や変奏、曲のアレンジや作曲といったことをやりたいと言い出したので、クラシックピアノのレッスンを続けながら、作曲の先生がいないか探しました。ヤマハという本人が一番好きだったこともここで絶たれてしまったのも本人はつらかったと思います。
習い事も日本より断然選択肢が減り、やりたくてもできないもどかしさがありました。
勉強面に関しては、「スマイルゼミ」小学コース
他にはZ会プログラミング
7歳頃の特徴のまとめ
・家では今までの息子とは別人かのように、全てのことに反抗的でキレるように
・親の言うこと、先生の言うことは従いたくない
・みんなができることができない
・学校生活で問題児として扱われる
・勉強はできる
・本人が周りに受け入れられず葛藤する
・漢字練習や連絡帳を書くといった自分にとって必要なかったり、やらなくていいものはやらない
・好きなこと、やりたいことがある
どうでしょうか。今までの成長の記録を読んでいただいた方はわかると思いますが、2年生頃から色々な困り事が出てきます。
今こう振り返っていると、2年生から少しずつ歯車がずれていって、今の大きなずれにつながっている気がしてなりません。もし戻れるなら…と非現実的ではありますが、間違いなく2年生の初めに戻りたいと思うほどです。
もちろんいい時もいいこともあったからこそ今があるのですが、親としての未熟さもあり、色々反省することも多々あります。それでも母親なりに息子とは一生懸命向き合ってきました。
3年生はこんなことが起こらぬよう、自分なりにギフテッド2Eについて調べ、新学期が始まり問題が起こる前に先回りし先生と面談をしました。3年生の記録はこちら。後に受けたWISC-4についてはこちら。
ブログでは伝えきれていないことをnoteにて有料記事にて公開しています。今後も当サイトと分けて執筆予定です。