ゲーム依存、YouTube依存から生活が乱れ、こちらが注意することで暴言暴力に繋がっていくことが増え、それもだんだんエスカレートしてきました。相談出来る場所が現地にはなく、会社が斡旋してくれたカウンセリングを受けることができました。
もうこの場でどうこうするのは難しい、次のステップに進むとき。日本の福祉でできることがある。一刻も早く専門医にかかるべき。
このカウンセラーのアドバイスが私の原動力となり、とにかくこの状況を変えたいという思いだけで一気に準備をしました。
また、カウンセリングが会社の斡旋というのもあり、状況を会社に伝えることができるとのこと。主人の許可を取り、会社にようやく伝えることができました。
夏休みのことを少し書いてから、帰国後のことに入ろうと思います。
どうする最後の夏休み
本帰国を決めたのですが、じゃあ明日帰りましょうとはなりません。
船便の予定などもあり、最短でも1か月半~2か月後の帰国となりました。
帰国を決めてからはまた大忙しの日々でした。まずどこに帰国するか、住む場所、学校、病院など、調べることは山ほどあります。しかし、目の前に夏休みが迫っており、夏休みをどう過ごすかを考えなければなりませんでした。夏休みは学校もなく、本人が最も苦手な「暇」な長期休みです。
5年生の夏といえば中学受験をする場合は、夏期講習一通りかもしれません。
しかし、この頃は無気力で勉強自体にモチベーションがありません。ここは一旦勉強から離れることにしました。中学受験をするかどうかよりも、もっと大切なこと(穏やかに過ごすということ)があったので、夏期講習には申し込みませんでした。
また、ゲーム依存にもなっていたのでそれらの電子機器から遠ざけ、かつ、暇を避けるために何かないか探しました。この年は、新型コロナウィルス感染症の影響はまだありましたが、いくつか短期のサマースクールや短期留学が開催される予定だったのでその辺りを中心に調べました。
国内のサマースクールであれば、子どもはPCR検査の陰性証明があれば参加が可能とのこと。
こんなのがあるよと、いくつか調べて提案する形で本人に伝えました。言葉の壁や、日本人がいない不安よりも、知的好奇心が勝るようで、悩むこともなく二つ返事で「行く」との返事でした。
言葉もわからなければ、知り合いもいない環境に7日間×2…。私なら絶対行きたくないなと思いましたが、息子は即決できるのは、さすがだなと思いました。
息子の特徴として、「挑戦することが大好き」「物怖じしない」「好奇心旺盛」というのがあります。これは、きっと社会に出ても生きる力に繋がってくると信じています。
サマースクールの探し方
住んでいた国は、夏休みも様々なアクテビティがあり、日帰り、泊まり、語学、スポーツ、音楽、などジャンルも期間も色々なサマースクールがありました。
とはいえ周りの日本人で泊まりのサマースクールに参加したという前例は聞きませんでした。
それでも現地のインターナショナルスクールも1人で飛び込んでいくような息子だったので、泊まりでも大丈夫な気がする、という親の直感だけでChromとGoogle翻訳を駆使して母親の私が探しました。
語学と音楽2択に絞り、どっちがいい?と聞くと音楽とのこと。2種類の音楽のサマースクールを申し込むことにしました。
2つとも大きな学校を貸切にして1週間そこで寝泊まりをして過ごすようなスタイルでした。部屋はコロナの関係で接触を減らすために1人部屋だったようです。
合宿を終えた息子
送り届けた時は、やはりどこか不安そうでした。年齢も10歳から20歳までが一堂に会する合宿だったので、年齢も性別も国籍も様々でした。
しかし、アクティビティも朝から晩までぎっしり詰まっているので、アクテビティを通して親交を深めていったようです。自由時間は、つたない英語でコミュケーションをとり、一緒に卓球をしたりサッカーをして過ごしたとのこと。
終わる頃にはメールアドレスを交換したり、写真を撮ったり、別れを惜しんでいるようでした。
迎えに行ったときは、一回り痩せたかな?という印象でした。学校には3年間毎日お弁当を作って持たせていたので、現地のご飯を7日間食べることも本人は初めてだったのです。それでも「楽しかったからまた来年も参加したい、このためだけに来る」とのこと。一回り痩せたけれど、内面は一回り大きくなったなと感じることができました。
もともと今回の目的は、語学や異文化体験というよりは、「お互いが穏やかに過ごすため」というのが目的でした。しかし結果的に、様々な年齢、国籍の人たちと共同生活をすることで、多種多様性を認め、グローバルな感覚が養われたと思います。
無気力でゲーム依存のようになっていた時期でしたが、挑戦する機会と環境を与えれば、きっかけに変わることもあります。性格にもよるでしょうし、決して本人に無理強いをさせるのは禁物ですが、チャレンジ精神旺盛なタイプであれば挑戦する機会を与えると成長できる気がします。
一週間離れてみて
何日間も息子と離れるのは私も子育てをしてきて初めてのことでした。どんな気持ちになるのだろう?と自分自身にも興味がありました。
その14日間は驚くほど穏やかで、怯えることのない生活がとても快適だったのを覚えています。
寂しいという気持ちは不思議とわかず…溜まりにたまった疲れを癒すのにちょうどいい期間でした。
その当時は家の中が毎日緊迫した状況で、息子はちょっとでも気に入らないと突然怒りが沸点に達するので、常に娘と緊張して過ごしていたんだと気づきました。
娘も、無事一学期を終えました。学校のお友達とお別れをし、夏休みに入り平穏な日常を取り戻していきました。
休むこと、頑張りすぎないことの大切さに気付くことができました。
この間に、船便も出すことができ、引っ越しの準備も順調でした。
息子と娘の住みたい場所
まだ主人の帰任時期も勤務地も決まっていなかったので、ある意味どこでも住む場所は選べる状況でした。
赴任する前に住んでいた場所、新しい場所、田舎、都会…。
選択肢が山ほどある中、2人の子供たちが共通して口にした条件は「自然があるところ」でした。すぐに虫取りや魚釣りができるところがいい。とのこと。この条件は、親としても賛成だったので、自然が身近にあるところに新居を探すことにしました。
もちろん、近くに通える病院はあるか、学校の雰囲気はどうか、やりたい習い事はできそうか、そして母親である私が落ち着いて暮らせる場所か。というのを考えながら、私が主導で決めました。
帰国が決まって思うこと
駐在仲間には、同じ国でもとても楽しんでいるいわゆる駐妻さんもたくさんいました。
語学を学び、文化に触れ、旅行をし…。一方、語学も学ばず、旅行もさほど興味がないという人もいます。これは子供も同じで、まだ帰りたくない、と言っている子もいれば、早く日本に帰りたい、と言っている子もいました。
こればかりは性格とか、興味の有無とかそういったことになると思うのですが、私は圧倒的に後者だったので、帰国が決まってただただ嬉しかったのと、ホッとした気持ちでした。
まさかこの3年半で、息子も家族もこんな状況になるとは思いませんでした。
現地の友達には我が家の家庭内の状況全てを伝えている人はいなかったので、家の中は闇のように真っ暗なのに、会うときは笑顔で人と話さないといけないのも正直辛かったです。
みんな呑気でいいなあ…と若干荒んだ気持ちで人の話を聞いていることもありました。
もし、発達障害や特性があらかじめ分かったうえで渡航するのであれば、相談出来る機関や手段をあらかじめ準備してから渡航されることをお勧めします。
思っている以上に海外で病院にかかることは、難しいです。特にこういった特性に関することは微妙なニュアンスが通訳を通したとしても伝わりきらないこともあります。
あとは、我が家のように、海外生活を始めてから発達の特性に気づくケースもあると思います。その場合は、くれぐれも一人で抱え込まないで、無理をせず周りの助けを出来る限り借りてほしいと思います。
あまり諸外国での発達障害のサポートについての情報はありませんでしたが、参考までに添付いたします。
いざ帰国!
ついに飛行機に乗る日が来ました。息子も娘もどこか清々しい顔をしていました。
最後の空港で、今どんな気持ち?と息子に聞いたところ、
「〇〇くん(唯一の心の友)との別れは寂しい。」
と言っていました。なかなか気の合う友達がいない中、そう思える友達に出会えたのは良かったなと思いました。
そして
「今度海外に来るときは、パパの仕事ではなく、自分の行きたいタイミングで行きたい」
とつぶやいて飛行機に乗り込んだのでした。