さて昨年2021年から定期的に開催されている文部科学省主催の「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議」の第13回がありました。長い名前です。今回は久々にリアルタイムで傍聴することができたのでその時の内容についてです。(傍聴受付フォームに事前登録が必要ですが傍聴可能です)
具体的にどんな内容が議論されているのか現時点での内容を少しまとめて整理してみます。
「ギフテッド教育」など言われることもありますが、あくまでもこの会議ではギフテッドという単語は使用しないことになっています。
引用元は全て、「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議」審議のまとめ(素案)より引用しております。なお、過去の有識者会議の議事録全てはこちらから見ることができます。
特異な才能とは?
ギフテッドという用語は使用しない
表題にもあります「特異な才能」という言葉。文科省としては、「ギフテッド」という用語については、対象となる児童生徒のイメージが論者により異なるため、本有識者会議においては使用しないとしています。
英語の gifted の本来の意味で才能や才能のある児童生徒を広く表すのではなく、突出した才能に限定して用いられる場合や、特異な才能と学習困難を併せもつ児童生徒に限定して用いられる場合などがあるためです。
特異な才能はどの領域か
「特異な才能」の領域は学問、芸術、スポーツなどや、学問分野よりも狭い特定のテーマの場合もあり、また、特異な才能の程度については、非常に高いIQで示されるような極めて突出した才能に限られるわけではなく、様々な程度が想定されるものであるとしています。
「ギフテッド」という言葉は使わないというのは理解できましたが、「特異な才能」という表現を最初に聞いたときはとても聞きなれない言葉だなあという印象を持ちました。
「特異な才能のある児童」の定義や特性
- IQ(知能指数)などによる一律の基準を設けるのではなく、大綱的な定義を置いていることが多い。
- 才能を科学技術、芸術、スポーツなどの多様な領域における領域固有なものとして捉えている。
- 才能の全般的な特徴を「普通より優れた能力」、「創造性」、「課題への傾倒」の3つの要素に大きくまとめ、才能とはこれら3つの要素の相互作用であると捉える考え方がある 。3つの要素のいずれかが高いことが才能を見いだす手掛かりになるとされる。
- 「特異な才能のある児童生徒」を定義づけて予め特定しないため、「才能児・ギフテッド」と呼ぶ「個人」を見いだす「認定」はしない
- 特性として、強い好奇心や感受性、豊かな想像力、高い身体的活動性、過敏な五感などや機能間の発達水準に偏りがあることなどが挙げられる。しばしば、これらの特性が過度に表出し、環境に馴染めないことによる困難を抱えていることがある。
- 「2E(twice-exceptional)の児童生徒」と言われる、特異な才能と学習困難を併せ有する児童生徒がいる。
参照元 文部科学省HP
有識者会議では、2E(Twice-exceptional:二重に特別な、二重の特別支援を要する子)に対しても個別最適な教育を支援を検討する必要があるという認識とのことでした。
また、今回もまだ有識者会議の中でも「特異な才能」の判断基準を求める声が出ていました。教師という立場から公平に判断する基準が欲しいのだろうなと思いますが、その基準を作ることは正直難しいと思います。個々が違うのと同じで特異な才能といっても千差万別、2Eの部分の程度も種類も様々だからです。
また、何か数値として基準値が設定されると、その基準値に達するための塾や企業などができ、教育格差が生じるリスクがあるなと思いました。
有識者会議委員、関西大学名誉教授の松村暢隆氏は、「特異な才能のある児童生徒」は突出した異能だけでなくて、幅広いレベルでの領域固有の才能を持つ者と捉え直し、多様な才能を評価するために、レンズーリ(J.S. Renzulli)の「才能の三輪概念」が有用だとしています。
「才能の三輪概念」とは①優れた能力(知能・学力)、②創造性、③課題への傾倒、という大きく3つの才能の要素であり、いずれかが高いことが才能を判別する手がかりになるとしています。特に「課題への傾倒」すなわち、特定領域への強い興味・関心、意欲や熱中は才能の大きな要素の一面であり、子どもの学習を個性化するために有効であるとしています。
松村氏は以前から2E教育について研究されており、この「2E教育の理解と実践」という本は、元々私の本棚に並んでいたうちの1冊です。
息子がギフテッド2Eと認定されたころに出版されており、その当時に2Eという言葉を初めて耳にし手に取りました。当時は私自身も何にも知識がなかったので理解が難しかったのですが、今読み返すとすっと入ってくることが多いことに気づきました。
日本の教育の未来像
私たちの願いは、特異な才能のある児童生徒を含む全ての子供たちが、多様性を認め合い、高め合える包摂的な学校教育の環境の中で、それぞれの資質・能力を伸ばしていくことができるようになるというものである。
引用元 文部科学省HP
この素案の「はじめに」の部分の抜粋です。具体的ではないかもしれませんが、実際に子育てをしている親側としても具体的に学校にこうしてほしいというのは実は私もまだ不明確なところがあるので、まさにざっくりこんな感じが理想だと思っていました。
今回の有識者会議でもしきりに全国の教師の負担がこれ以上増えぬよう増えぬよう、というのがよく伝わってきました。
これはあくまでも個人的な意見になってしまいますが、私自身は学校に特異な才能を伸ばしてほしいとそこまでは求めていません。今までの「型はめ」「みんな一緒」といった均一性のとれた教育ではなく、まずは多様性や個性をありとしてくれる場になることで日本の学校教育が少しずつ変わっていくのではないかと思っています。
続いて、あるべき姿については
特異な才能のある児童生徒の特性や必要な支援等について教師の理解が進み、児童生徒や保護者との適切なコミュニケーションの下、1人1台端末も活用しつつ、学習内容の習熟の程度に応じた自由度の高い学習も取り入れ、かつ子供たちがお互いに高め合う教育活動が行われており、個別最適な学びと協働的な学びが一体的に充実されている。
また、上記の姿が実現してもなお、特異な才能のある児童生徒がその才能や認知の特性等に応じて必要な場合、例えば普段過ごす教室で居づらさを感じていたり、学習することに困難が生じていたりする場合には、普段過ごす教室とのつながりが切れることのないように配慮されつつ、一時的に別の教室等で特性等に合った学習等を行うことができるようになっている。その教室等は、特異な才能のある児童生徒が過ごしやすい居場所としての環境整備がなされている。
とのこと。これが実現するなら理想的だなあと思うと同時に、あと数年早く議論してくれていたらとも思ったり。
息子は現在小学6年生です。この6年間、本人が一番苦労はしたと思うのですが、親としても学校から毎日電話がかかってきたり、何度も足を運んで特性の説明をしたり、配慮のお願いをしたりしていきました。先生も6人の先生にお世話になりましたが、今振り返るとやはり本人が学校生活をスムーズに送るためには先生の理解と支援がなくてはならないと感じています。
次の項目にもあるように、特異な才能は学校外の機関で伸ばしているので、本人もなにかプラスアルファを学校に望んでいるというよりは、特性を理解してもらえるだけで、本人の生きづらさは軽減されるのです。
今の担任の先生は、転入当初からとても理解をしてくださり、今では息子のよき理解者です。
字を書くことが苦手なのですが、字が汚くても漢字テスト以外は大目にみてくれたり、板書も今日の振り返りだけでいいとしてくれています。
時には怒られるようですが、決して感情的に怒らず、笑いを交え冗談ぽく注意してくれるから僕もカッと感情的にならないんだと言っていました。これを聞いて、とても理解のある寛大な先生だなと本当に感謝しています。
今後の施策
① 特異な才能のある児童生徒の理解のための周知・研修の促進
② 多様な学習の場の充実等
③ 特性等を把握する際のサポート
④ 学校外の機関にアクセスできるようにするための情報集約・提供
⑤ 実証研究を通じた実践事例の蓄積
具体的な施策の方向として、教育格差や地域差などがあるため、突出した才能のある子に特化した新たなプログラムは提案しないとしています。
ただし、学校内の個別最適な学びの取組の中で、優れた才能のある子への指導の個別最適化を一層進めるために、既存の学校外プログラムとの公正な連携の在り方を検討する余地はある。 としており、学校外の機関との連携や、情報共有などが必要課題となりそうです。
学校外の受け皿としては、大学や企業や民間団体等が実施するコンテストへの参加などがありますが、学校外における学びの場を社会全体で支えていく環境を整える必要があります。
学校でプログラミングが授業に組み込まれてからの世間でのプログラミング教室の広がりは凄まじいものでした。スポーツや理数系の才能で有ればこういった外部の受け皿は見つけやすい気もしますが、芸術分野の受け皿は今のところ習い事くらいしかあまり見つけられていません。多方面で才能が伸ばせるプログラムが出来るといいなと思います。
また、困難を伴う才能のある子と向き合う人たちには、才能のある子の実態と支援の視点・知識をもつことが必要になります。そのため、支援者に才能のある子の支援の視点・知識を身につける研修なども必要です。
まとめ
もうしばらく続きそうなこの有識者会議ですが、大体方向性が決まってきたところで思うことは、今メディアでも注目されているこのタイミングで、多様性が周知され、理解者が一人でも増えることを願っています。多様な個性のあるひとりひとりにとって個別最適な学びができる環境が整う日が待ち遠しいです。